よく聞く仏教語の言葉  ばらの幼稚園 園長 楠 邦江 2023.02.07

 日本の歴史の中で仏教は文化、風習などに大きな役割になってきました。私達の生活には、驚くほど多くの仏教語が根づいています。
よく聞く言葉を紹介致したいと思います。

いただきます

実は「いただきます」の「いただく」とは「命をいただく」という意味です。
ご飯にしても、焼き魚にしても、すべての料理は植物や動物の命を奪って与えられるものです。仏教では(お釈迦様から)すべての生き物の命に違いはないと説いていますから、その命をいただくことに感謝の気持ちを伝えるため、食事の前にこのように口にするわけです。
「いただきます」と言いながら手を合わせるのも感謝の気持ちを表しています。
本園は仏教保育でありますので、この時代にお弁当の時間の挨拶が古い、長いと思われる事もあるでしょうが、創立以来お弁当の時間の儀式は変わらず行っております。食育は感謝の心の基本です。

ごちそうさま

食事の後の挨拶やごちそうになったお礼を伝える時に使われ、漢字で書くと
「御馳走様」となります。「御」と「様」は丁寧さを表すための接頭語と接尾語です。
つまり肝心なのは「馳走」という言葉です。馳走は「準備のために走り回る」という意味で韋駄天いだてんという足の速い神様が、お釈迦様をもてなすためにあちこち走り回って食材を集めたという故事に由来します。そして、その努力に対し、お釈迦様が「ごちそうさま」とおっしゃったというわけです。

愚痴ぐち

仏教の世界では、百八種あるといわれる煩悩ぼんのうのなかでも特に「三毒」という煩悩ぼんのう が人の心を悩ますとされています。この三毒とは貪欲どんよく瞋恚しんに愚痴ぐち()です。 貪欲は「満足できない、むさぼる気持ち」瞋恚しんには「憎む気持ち」そして愚痴は「真理に暗く無知なことお愚かな心」を表しています。
物事の道理を知らず無知なので、言っても仕方のないとわかりながら嘆くことから「愚痴をこぼす」という言葉が生まれました。

ちょうだい

「お菓子をちょうだい」「手伝ってちょうだい」など現在では子どもや親しい間柄で 使われる言葉です。もともとは目上の人からいただいた物などを高くささげ、頭を低くしてうやうやしく受け取る動作を指していました。さらに経典や仏具などをいただく際、頭にのせて感謝を示すことを「頂戴」と言いました。ちなみに「頂」は頭の上、「戴」は載せるという意味ですが、子どもや親しい間柄で使われるようになったのは明治以降のようです。

子煩悩こぼんのう

人並み以上に自分の子どもを可愛がる様子やその親のことを「子煩悩」と言いま すね。
仏教で「煩悩」は人を苦しめ、悩ませ、惑わせ、悟りに至る道を妨げる心の働きを指します。欲求や欲望、執着心などによって、心が平穏を保てなくなってしまうわけです。
そこで、子どものことが気がかりで、冷静でいられない程可愛がる様子が「子煩悩」になったのです。一般に褒め言葉として使われますが度が過ぎると「過保護」や「親バカ」と言われるかもしれません。

*~教育には二つの方向があると考えられます。一つは「教え、育てる」もう一つは「耕す」或いは「引き出す」方法ですね~
‟長所は、意外と短所の陰に隠れている”良いところを引っ張り出して褒めましょう。
そしてそれがやがて人の役にたつという体験を積んでいけば子どもの自己肯定感の源になるという気がします。 まだまだお知らせしたい仏教語がありますので、追ってお知らせ致します。